2012年6月3日日曜日

ブラック企業で学んだこと ― 新卒でドロップアウトした僕から、ドロップアウトしそうなあなたへ(1) - Oreoreoreoreの日記


[ブラック企業]ブラック企業で学んだこと ― 新卒でドロップアウトした僕から、ドロップアウトしそうなあなたへ(1)

こちらのエントリーを拝読しました。ブログというメディアならではの記事で、大変素晴らしいと思いました。どう素晴らしいかというと、非常に具体的に、体験に基づいて、人生の指針を書いていらっしゃるからです。

本屋さんに行くと、「どうやって就職活動をしたらいいか」という本はたくさんあると思うけど、「就職活動がうまくいかなかったらどうしたらいいか」という本は、それほど多くないような気がします。

また、例えば僕は、以前、22歳のときに、旦那からのDVに悩む、4歳年上の人妻に恋をしたことがあるけれど、「旦那からDVを受けたらどうしたらいいか」ということに対する具体的なマニュアル本というのもあんまり無いような気がします。

だけど、就職活動の進め方とか、あるいは趣味なんかのマニュアルよりも、どちらかというと、そうして人生の危機的な状況に陥ったときこそマニュアルが必要なんじゃないかと思うのは僕だけでしょうか?

じゃあ、と私の経験を書いてみて、それが誰かの役に立てばいいなと書いてみる。

というこの一文がとても素晴らしいと思いました。僕も、自分の経験を書いてみて、それが誰かの役に立てばいいなと思いました。

このあたりも読んで、たまたま僕のブログを読んだ人が、何かの参考にでもしてくれればいいなあと思ったのです。

平成12年の3月に大学を卒業しましたが、僕の頃も、「就職氷河期」とか言われていたような記憶があります。

就職活動は一応しましたが、途中でやめてしまいました。バカバカしく思えたからです。今思うととても傲慢で恥ずかしいのだけれど、面接をして下さった人が、全然輝いて見えなくて、「俺もこうなるのかな。」って思ったら、イヤになってしまって、途中で活動をやめてしまったのでした。

僕は外国語学部というところを卒業したのですが、英語は全然話せませんでした。道を聞かれたら、カタコトで伝える程度、というと伝わりますでしょうか。

大学に入る前は、「通訳とか翻訳とかやりたい」って思ってたのですが、多くの大学生のように、特にちゃんと勉強をするわけでもなく、バイトばっかりやった結果、専門的な知識を身につけることもないまま、卒業を迎えてしまいました。

2012年6月1日金曜日

ゆとり教育 - Wikipedia


ゆとり教育(ゆとりきょういく)とは、日本において、知識重視型の教育方針を詰め込み教育であるとして学習時間と内容を減らし、経験重視型の教育方針をもって、ゆとりある学校をめざした教育のことである。2012年度現在、高等学校でのみ施行されている。

ゆとり教育は1980年度、1992年度、2002年度から施行された学習指導要領に沿った教育のことであり、小学校では1980年度から2010年度、中学校では、1981年度から2011年度、高校では1982年度から2014年度(数学及び理科は2013年度)まで[1]施行される教育である。

ただし、1980年度、1992年度から施行された学習指導要領による教育と2002年度から施行された学習指導要領とを区別する人もいる[2]。また、1992年度から施行された新学力観に基づく教育をゆとり教育という人もいる[3][4]

まず1970年代に日本教職員組合 (日教組) が「ゆとりある学校」を提起をし[5][6][7]、国営企業の民営化を推し進めた第2次中曽根内閣の主導のもとにできた臨時教育審議会(臨教審)で、「公教育の民営化」という意味合いの中で導入することでゆとり教育への流れを確立し[8]、 文部省や中教審が「ゆとり」を重視した学習指導要領を導入し、2002年度から実質的に開始された。

「ゆとり教育」はその目的が達せられたかどうかが検証ができない状態の中、詰め込み教育に反対していた日教組や教育者、経済界などの有識者などから支持されていた一方で、それを原因として生徒の学力が低下していると指摘され、批判されるようになった[9]

中山成彬文部科学大臣は、中央教育審議会に学習指導要領の見直しを要請し、さらに安倍内閣の主導のもとに、ゆとり教育の見直しが着手され、2008年には、今までの内容を縮小させていた流れとは逆に、内容を増加させた学習指導要領案が告示され、マスコミからは「脱ゆとり教育」と称されている[10]

[編集] ゆとり教育の経緯

 : 1971年(昭和46年)からの学習指導要領
 : 1980年(昭和55年)からの学習指導要領
 : 1992年(平成4年)からの学習指導要領
 : 2002年(平成14年)からの学習指導要領
 : 2011年(平成23年)からの学習指導要領

2012年5月30日水曜日

社会: 学校の選択は、公立学校を破壊するか?たぶん良いことだなぁ


パブリックスクールの守備は、多くの場合その学校の選択は、公立学校を破壊してしまうと主張している。この国の子どもたちのほぼ90%が公立学校に参加しています。我々はバウチャーない強制出席法、規制の教育、自由市場があった場合は、親の何百万人も私立学校に子供を転送することがあります。これは、公立学校からの税数億ドルを排出します。彼らは今よりも公立学校は、さらに悪いことに教育を受けることしなびたでそれらの子供たちは取り残された。したがって、引数が行く、我々は公立学校を保護するために学校選択を戦わなければならない。

2012年5月19日土曜日

なぜ大学に行くのか - 大学受験 - 教えて!goo


はじめまして。
質問者様の期待に添う回答ではないかもしれませんが、
私の考えを述べさせていただきます。

私が大学に進学した理由は、大きく分けて3つありました。
(1)高2のとき、父親に「お前に残してやれる最大の財産が、大学に行かせてやることや。だから、お金とか気にせずしっかり学んで来い」と言われたこと
(2)将来、公認会計士になりたかったこと
(3)たくさんの人たちと出会い、視野を広げたかったこと
です。

2012年5月18日金曜日

国際交流ガイドブック2012|共同教育(ダブルディグリー)プログラム


共同教育(ダブルディグリー)プログラム

世界を舞台に学び、活躍する学生のためのプログラム
東北大学と世界トップクラスの教育機関から、2つの修士号の同時取得を目指す

2012年5月16日水曜日

『英語教師 夏目漱石』 - 英文学をゼロから学ぶ


『英語教師 夏目漱石』

今回は僕の愛読書を紹介します。

これは、英文学を学びたい人や英語教師になりたい人に、ぜひとも読んで欲しい本です。

著者の川島幸希氏は秀明学園の理事長。

彼の著書の大半は、どうでもいいような小学校英語の学習書ですが、この本だけは本当に素晴らしいです。

最高の業績だと思います。

英語教師時代の漱石を知るには、この本一冊あれば充分です。

夏目漱石は、もちろん言わずと知れた文豪ですが、作家として名を成す前に、実は英語教師で生計を立てていた時代があります。

そして、漱石は相当高度な英語力の持ち主だったそうです。

現在の中学生に当たる年齢の頃の彼は、漢文が大好きで、対照的に英語は見るのもイヤなほど嫌いでした。

それで、東京府第一中学(現在の都立日比谷高校)を中退して、わざわざ漢文が専門の二松学舎に入り直したのです。

ところが、大学予備門(現在の東京大学教養学部)を受験するために英語の勉強をしなければならなくなりました。

その頃の漱石は、英語に関しては、現在の中学レベルの初歩的な内容さえ怪しかったといいます。

そんな彼が、いかにして、わずか数年の間に、帝国大学の英文科を優秀な成績で卒業し、官費でイギリスに留学するほどになったのでしょうか。

漱石は、好きだった漢文もお預けにして、ひたすら英書を読みまくったそうです。

後に彼は「ある程度、初歩の文法を修めたら、あとはどんどん英文を読むのが良い」と語っています。

本書では、漱石が19歳の時に書いた英作文を、現在の東大生に同じ課題を与えて書かせたものと比較して、彼の英語力を分析しています。

東大生の方は英検一級を持っている帰国子女です。

2012年5月15日火曜日

ママ先生's振り返りジャーナル: 2011年11月


出張から帰ってすぐの面談でした。

最近子どもが持って帰ってくる授業のプリントが、ほぼできてない・・・

どうやら、

■カタカナ読めてない
■漢字も読めてない、もちろん文字を書けない

と、かなり深刻になっている模様。
文字が文字として認識できてないんだろうな。。。

去年はひらがながそんな感じ。
小学校に入学して、前期にかなりの伸びを示していたのでおお!これは!と夫婦で喜んでいたのですが・・・ついに来たかーーーってことで、担任と特別支援コーディネーターとの面談となりました。
(今までの息子の経過は「子どもの発達」カテゴリを見てみてね!)

今回の教育相談は、ざっくり分けると

1.子どもの学校での様子
2.保護者の希望を聞く
3.実際にできることを考える
4.いつまでにどうするか、見通しを立てる
5.お返事お待ちください

こんな感じ。緊張がとけるまでに1時間半かかりました。

「保護者が動かなければ、学校は動かない」

基本、教員から「お子さんの発達が気になる」などの働きかけはありません。

保護者は「うちの子が障害者なんて、そんなはずはない」と想像以上に傷つくので。

コーディネーターの先生いわく、
「保護者に声をかけ、支援級に移るまで3年かかった」生徒もいて、
今回のような話から進められるのは稀なことなのだそうです。

でも、その間子どもはほったらかしですよ??