2012年4月10日火曜日

カテゴリー[発達障害を持つ子のお母さんへ] - 発達障害児が伸び伸びと育つために~保健師の目で見た子育て~


多くの発達障害児は、耳鼻科受診や歯科受診、それから予防接種などの注射や点滴治療、インフルエンザの検査(鼻の粘膜で見るあれです)などなど、とても苦手ですよね。

我が家も2~3年前までは、受診のたびにえらい騒ぎでした。
3年前にインフルエンザにかかったときは、嘔吐の恐怖から水も飲まなくなってしまい、点滴治療を受けることになったのですが、抵抗するので針を刺すのに40分もかかってしまいました。
それが去年は5分ほどの抵抗で点滴治療を受けることができました。

耳鼻科受診も「何をされるのか見えない」ので、ひどく抵抗し、看護婦さんからはきつく叱られたり、押さえつけられそうになって暴れたり・・・親も泣きたい思いでした。
それが今では、耳鼻科の先生のご理解を得て、器具の説明と治療方法を説明してもらってから、治療を受けるようになり、安定してきました。

歯科治療もしかりです。
(最近は全身麻酔で自閉症児の治療を行うことも検討されているようですね、でも、視覚的な説明がしっかりとしていただけるようになったら、かなりのお子さんが受けられるようになると思います)

みなさんどうなさっていますか?

季節柄か、受診できなくて困っているという相談をよく受けるようになって来ました。

ある11歳の男の子は、昨年インフルエンザの予防接種を受けに行ったら、緊張から大暴れしてしまい、結局大勢で押さえつけて接種することになったそうです。親は切ないやら、申し訳ないやらで心苦しかったと言っていました。そうですよね。
そして、本人はそれ以降、その病院に行こうとすると緊張してひどく抵抗するようになってしまったため、しかたなくかかりつけ医を代えたとのこと・・・。今年はどうしたらいいかという相談でした。

一見障害があるようには見えないこの子達の持っている「生きにくさ」は、「しつけの悪さ」「甘え」にも見えますから、親御さんたちもかなり苦労してきたはずです。
・・・わたしも・・・皆さんもですよね・・・!

でも一番苦しいのは、本人たちですね。

この子達は、「見通しの立たないことを怖がります」し、
「いつもと違うことをされるので緊張します」し、
感覚がある部分過敏で、健常者には想像もできないほど、痛かったり怖かったりします。(痛くないのに痛がっているわけではないのですよね)

押さえつけられたりすると、緊張感が高まって、かえって大暴れする結果になると思います。

小さい頃は、押さえつけて治療を受けさせてきた方も多いでしょう。
今日、相談をくださった方もそうでした。これまで押さえつけてきて、去年「もう押さえるのは無理だ」と実感したそうです。

そう、必ず押さえつけられない体格になりますから、小さいうちから、できるだけ押さえつけない方向で、受けさせたいですね。
時間がかかっても、本人が納得できるように、理解させ、緊張感を解き、「がんばれた」という小さな成功体験を積ませ、ご褒美をあげる・・・こういう積み重ねをしていきたいものです。
この成功体験が、だんだんと「痛くてもがんばる力」となります。

これをするには、「理解ある医療機関を作る」ことが、必要です。

よく、「自閉症児の内科的治療をしてくれる医療機関を紹介してください」と相談されますが、ほとんどありません。
それを探すよりも、やはり、身近なところで主治医の理解をお願いした方が、長い目で見るとラクなんです・・・急に病気をすることもありますから、近い方がいいんです。

正直言って、診断名を伝えても、それがどのような特徴がある障害で、どのように対応したらいいのか、分からない先生が多いです。
ですから、やはり、親が説明して、時間がかかるけれども理解して欲しいことを伝え、協力をお願いすることが必要ですよね。

医療機関によっては、医師が(不安なので)「押さえつけないとダメ」とおっしゃられるところもあります。
そういう時は、根気強くお願いするか、・・・他を当たるしかないです。

子どもに対しては、カードなどを使って、視覚的に流れを理解させて、見通しを持たせること、また治療の動機付けを作り、嫌でも我慢しようという気持ちを持たせることが必要です。

今日、ご相談くださったお母さんには、カードの作り方と、見通しの持たせ方について説明し、
理解ある医療機関を作っていくよう励ましました。
必要があれば、こちらからも主治医の先生に電話して協力をお願いしています。

親は、色々なところで、わが子の特徴を説明し、対応の方法についてお願いし、発達障害児に優しい社会を作っていくために・・・今日も、明日も・・・がんばるぞー!っていう感じですね。
それが、社会全体を変えていく力にもなっていくのだと思います。

親は大変!
されど「今日も日本のアスペルガー界を一歩進歩させた!」と、
自分で自分を褒めてあげましょう。

実際そのとおりだと思いますよ。

Akiko



一週間の休暇をもらいました。
私の父(TAKUYAの祖父)は、50才代からマラソンをはじめ、20年になります。今回ちょうど50回目のマラソンレースだったので、家族みんなで応援に行くことになり、私の兄と甥っ子はハーフマラソン、それ以外はみんな(私もTAKUYAも娘も、その他全員・・・)5キロレースに出場し、みんなそろって走ることで、父のお祝いをすることになったのです。

ところがTAKUYAは、運動は苦手。
家で絵を描いたりして過ごすことが多いです。球技もなかなかルールを覚えて競技することができないので、体育の授業でかろうじてやっているだけです。体力もありません。
だから普段、私は内心、野球クラブやサッカークラブで運動しているお子さんをまぶしいまなざしで見ていました。

TAKUYAにも何か運動をさせたいと思い、私の好きな山歩きに2回連れて出たことがあります。でもTAKUYAは「目的地に向かって歩いている」ということを忘れてしまうのでなかなか前へ進めなくなります。さらに、気分が乗らないと不機嫌になり、疲労も重なって駄々をこね始めます。山歩きをした2回とも私が引っ張って登らせることになり、その大変さたるや・・・本当に苦い体験をしました。

そんな経験があったので、今回のマラソンレース参加はちょっとプレッシャーでした。父のお祝いなので、みんなで完走して、父を喜ばせたいし、いとこたちも走ります。
・・・なんとか達成感と運動の喜びを知ってもらいたいなぁと思いつつも、何もできないままレースの日を迎えました。

とにかく私がTAKUYAに伴走し、最後まで走りぬかせよう!と決め(私自身も運動していないので、走り抜けるか不安だったのですが・・・)

TAKUYAには「お母さんはTAKUYAについていくから、しっかり走ってお母さんを引っ張ってね」と言って持ち上げていました。

しかし、レースの30分前になると、ストレスから「足が痛い」と言って、ビッコを引いて歩くようになりました。気分が乗っていない証拠です。「うーん、完走は難しいかなぁー」と思いつつも、サラサラ聞き流してスタート地点に行きました。

いよいよスタートです。

最初のうちは、レースの雰囲気に押され、調子よく走り出したTAKUYA ですが、2キロを越えるあたりから苦しそうに顔をゆがめ、グズグズ言いたそうにし、走るのをやめて歩こうとし始めました。

私は普段「甘甘かあさん」だと思うのですが、この時ばかりは「走れ!」「止まるな!がんばれ!」と、叱咤激励し、「1・2・1・2」と掛け声をかけてとにかく走らせ続けました。

ペースがゆっくりなので、私自身はかなり余裕が出てきて、あの手この手でレースに集中させ、激励し続けました。
顔をゆがめながらも必死で走るTAKUYAのそんな頑張る姿を見るのは、初めてで、内心驚きつつも走らせました。

私自身は、TAKUYAの教育に関して、どちらかと言うと本人のありのままの姿を受け入れようとするタイプの親なので、なんでも「そのままでよし」としてしまい、あまり叱咤激励して背中を押すことは得意ではありません。
TAKUYAは夏休み前に、漢字テストで2点から100点を取った時もすごくがんばりましたが、今回のハードルはそれ以上だったと思います。

時にTAKUYAの手を引っ張り、掛け声をかけながら走ります。それでも、私の兄がビデオカメラを構えて待っている場所へ来ると、TAKUYAなりに「人の目」を気にすることができ、カメラを意識して胸を張って走る姿は、なかなか素敵でした。

結果的には、一緒にスタートした姉やいとこたち、そして私の母(TAKUYAの祖母)にまで抜かされてしまいましたが、
それでも5キロを35分で走り抜けたのです!完走できるか不安だったのに、姉たちと5~7分ほどの差で走りぬきました。


RNとLPNは、略語を何の略ですか

こんなに頑張れたTAKUYAを見るのは初めてでした。
ゴールした時は、目頭が熱くなるのを必死でこらえて、「よくやった!かっこ良かったよ」と褒めちぎりました。TAKUYAは「あー疲れた!」とか言って、いまいち喜んではいませんでしたが(笑)、まんざらでもないようです。

その後、3時間前にスタートしていた、フルマラソンに出場の父も見事完走してゴールし、全員が完走できたことを家族中で喜び合いました。
なかなか感動的だったのですが、TAKUYAにとってはその感動の意味がいまひとつつかめず、「蚊帳の外」でしたが、それもまぁよしです。

それにしても、
走るって気持ちがいい!!

今までより、もう一段がんばらせてみよう!
できないと思うことにもチャレンジさせてみよう。

そして、親子で一緒の目標を持ってチャレンジしてみよう!

そう思いました。
なんだかこの喜びが癖になりそうな私です。

次はどのレースに出ようか・・・、そこに向けて親子で練習してみよう。次は10キロを目指そうか?!
私自身も体力をつけて、10キロレースでもTAKUYAの伴走ができるぐらいになっておこう。

発達障害を持つ子は、興味も偏りがちで、気分も乗せにくいし、がんばらせるにも工夫が要ります。
でも、何か、親子で一緒の目標を持ってチャレンジしてみようと思いました。
体力をつけ、工夫もすれば必ずできる!!がんばるぞ!

Akiko


今日は、TAKUYAの誕生日でした。
おかげさまで11歳になりました。

我が家では、お誕生日の恒例として、「あなたが生まれた日のこと」を話すことにしています。
毎年毎年同じ話をするのに、子どもたちはいつも目を輝かせて、笑い、質問し、嬉しそうにはしゃぎます。

「暑い暑い日が続いてね、お母さんのおなかはこーんなに大きくなって・・・」

「朝、早くにTAKUYAが生まれるよっていう陣痛が始まったけど、どうせすぐには生まれないと思って、できるだけ家にいて、お風呂に浸かったり散歩をしたりしていたんだよ」

「TAKUYAは大きな赤ちゃんで、助産婦さんが頭が出ましたよー、って言うから、あー生まれたー、と思ったら、おかあさん!肩が出てこないわ、もう一度いきんで!って言われてねー、びっくりして、そらから4回も必死でいきんだんだよ」

「お産に立ち会ったおねえちゃんは、2歳8ヶ月だったけど、お母さんが苦しくてうめくと泣きそうになって お母さん大丈 夫ぅ?ってたずねるから、それでお母さんはハッと我にかえって、急ににっこり笑って 大丈夫よって言ったのよ。その"変わり身の早さ"に自分でおかしくなって、苦しいのに笑ってたの。」

「生まれた時は、もう涙が出るほど嬉しくて、かわいくて、すぐにおっぱいを吸わせたんだよー」

「4000グラムもある赤ちゃんで、あんまりでっかくて、生命力に溢れているから安心した」

「でもその後入院して3週間も保育器に入れられたから、お母さんは毎日おっぱいを絞って病院に通ったんだよ。TAKUYAなんて4000グラムもあって大きいから、なくと保育器がガタガタ揺れるの。ちょっとしかミルクをもらえなくて、怒ってガタガタ揺れるほど泣いてたよ。」

「なかなか退院させてもらえないから、お母さんはとうとう泣いて 、お医者さんに、治ってなくてもいいから退院させてください・・・なんて言っちゃった」

などなど・・・毎度の話が続くのですが、考えてみれば「昨日のこと」のようなお産も、11年も前の話だったのですねー。

子どもたちに、「自分たちは愛されて、望まれて、生まれてきた」「自分は大切な存在なんだ」ということを理屈でなく、実感してもらいたい・・・と願って2~3才頃から始めたことが、恒例行事となりました。

同じ話を何度聞いても本人たちは飽きないようです。もっともっと聞きたがるので、もっともっと話をします。親もお産の話は、いつになってもドラマチックに話せるんですよね。

ぜひお子さんにお産のことを話してあげてみてください。楽しいですよ。

Akiko


私自身は、わが子が「もっと早く診断されていたら、あんな長い長い苦しむ期間は必要なかったのではないか」という思いが常にあります。
保健師としては、現状のなかで、どうすれば本当に母親を傷つけず、支援しながら、フォローの必要な人をフォローできるのか、試行錯誤しています。(絶対的なマンパワーの不足は実感していますが・・・)

なぜ、アメリカ(州にもよりますが)や、イギリスでは、あんなに早期に発見し、早期療育が可能なのか。

イギリスの医療と保健は国営です。日本よりももっと小さい行政区に(町会単位・・・)保健センターがあり(大きいところでも約2万人にひとつ位でしょうか、私のところでは20万人にひとつです)、"かかりつけ医"ならぬ、"かかりつけ医療チーム"(医師や看護職)によって、医療面も発達診断も予防接種も行われているのです。保健センターは、病院でもあります。風邪を引いた時も発達確認の健診も育 児相談も、同じ医療チームが行います。日ごろから接している人が発達も見るわけです。みなさんのかかりつけ医のところに、保健師などもいて、ひとつのチームを作っていると考えてみてください。赤ちゃんが生まれれば、そこから訪問があり、普段から育児の相談もできます。そこに行けば、次に受けるべき予防接種の案内もあり、病気の時には薬も出してもらえます。思春期の子どもの相談も、家族計画も親の病気も、何でも引き受けてくれます。
子どもだけ、親だけを見るのではなく、・・・その家族全体をひとつのチームが見守りますから、子どもを見るにしても、子どもだけでなく、子どもを取り巻く環境全体を、包括的に見ることができるのです。(虐待ではなく、発達の問題であるということも、すぐに分かりますよね)

アメリカでは、医療面ではやはりかかりつけ医制度です。一人のかかりつけ医を決めて、病気の治療も発達も予防接種も面倒を見ています。日本のように、病院はどこにでもかかれるというのとはまた違いますね。発達に関しての早期支援は(州にもよりますが)教育の分野におけるスクリーニング機能が発達しているようです。保健医療の分野ではなく、教育の分野において、(プレスクールや学校において)専門職が配置され、日常生活の中でス クリーニングが行われているようです。

日本における現状の乳幼児健診では、市町村にもよりますが、ほとんどが集団検診で、保健師は初めて出会う母子と面接をします。その時のお子さんのコンディションによってできたりできなかったりするので、母親からの聞き取りが中心になります。普段の様子はなかなか分かりません。
また、集団健診なので、流れ作業的になっている市町村も多いのではないでしょうか。
予防接種に関しても、親が「次はこれを受けよう」と自分で計画して、病院なり保健センターなりに受けに行かなければ行けませんよね。海外から帰国した母親たちからは、「えー!こんなことも自分で計画しないといけないんですか?日本のお母さんたちは賢いんですね!」とよく驚かれます。確かにボーっとしていると予防接種すら受けずに叱られちゃったって事もありますよね・・・。

要するに、日本では母親に伴走する専門家がいないんです。
親がしっかりしていないと、予防接種のみならず、発達の早期発見もできないんです。

どうしたら、より効果的で、本当に母親を支援しつつ、必要なフォローをしていくことができるのか。それが健診場面でできるのか、幼稚園や保育園や(もちろん学校もですが)などの場面でのスクリーニングを考えたほうがいいのではないか・・・アメリカやイギリスの事例を参考にしながら、考えています。

どう思われますか?
どんなことがあれば、いいのになー、(よかったのになー)と思うことがあれば、ぜひ教えてください。

Akiko


カミングアウトする時、理解を求める時、どうしてこんなに怖がりになってしまうんだろうか・・・
自分の心を見つめてみることが、一番有効な手立てになったと先日の日記に書きました。
その続きです。

TAKUYAのような発達障害を持つ子どもは、いわゆる「迷惑」をかけている・・・とも言えるので、教師や保護者たちに「何を、どう理解してもらうのか」を考えれば考えるほど、自分の中の「疑問」や「引け目」が大きくなることはありませんでしたか。
「障害を迷惑をかける言い訳にしているのではないか」
「頼むといって、何を頼むのか、我慢してくださいと頼むのか?」

・・・自分の中にこの疑問がある限り、「この手の質問が出たらどうしよう!!??」という思いが「恐怖」となって、自分を悩ませ続けるのだと思います。


あなたは、私立小学校に子供を送信する必要があります

そんな恐れを打ち消すかのように、ただ単に「強気で行こう!」とか、「わがままではない、障害なんだからしょうがないでしょう!」と開き直ったり、
反対に下出に出て「ひたすら謝る・我慢してもらえるように頼む・大目に見てくれるよう頼む・事前に謝っておく(?)」といったことをしても、それらは親自身にとっても、また教師や保護者にとっても、心が苦しくなる道だと思います。

ここを解決しておけば、80%は、OKだと思います!

自分の中で、「何を伝えたいのか」「何を頼みたいのか」「どうなることを望むのか」「どんな誤解を解きたいのか」をきちんと整理しておくことが大切だと思います。
整理して、伝える言葉を決めると、引け目を感じる必要がないことが自分自身でわかってきて、安心感が生まれます。

障害児の親であっても健常児の親であっても、「子どもの成長を望んでいる」という点では、共通しています。その親の願いを理解しない親はあまりいません。その点で必ずつながることができると思います。

こんな工夫はどうでしょう?・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

1)特徴を伝える
例1.わがままではなく、「状況を理解できない」「感覚異常があって耐えられない」「指示が理解できない」「言葉通りに受け止める」等の特徴によってわがままと見える行動をとってしまうことがある。でも、悪意はないのです。
例2.切羽詰った精神状態になると、パニックを起こしたり、機嫌が悪くなって迷惑をかけたり、騒いだりしてしまう。

2)親の願いは、成長させたいことです。
例1.我慢してほしいのではなく、許してやってほしいのでもなく、成長させたいのが親の願い。この子の場合は、支援がないと経験(失敗)が教訓にならない。
例2.ルールにも従えるように、場面に応じた行動が取れるようになってほしいと願っている。ただ、叱り付けることによって、そうできるようにはならない。

3)こんな支援を必要としている子です。
例1.興奮している時は、学べません。まずは落ち着かせることが必要です。だから喧嘩の際、いったんはお子さんに我慢してもらうような場面を見ることもあると思います。それは、一時措置です。
例2.本人が避難場所に行って心を落ち着ける、という方法も取ります。そうするとまたもとの活動に戻れます。
例3.傍目にはわかりませんが、感覚器の異常や状況を認識できないことなどによって見えないストレスを抱えています。だから、よく混乱しますが、そんなときは落ち着かせて、そっと見守ってください。
例4.間違ったことをしても、ただ叱るだけでは成長できないのです。本人に理解できるような方法で伝える努力をしています。

4)実際にお友達や先生の協力でこんな風に成長しました。
成長には時間がかかりますが、確実に成長しています。

5)お願いしたいこと
例1.何かあったとき教えて欲しいのです。本人が成長するためには、周囲の大人が「どういうことなのか」を説明してやる必要があるので、情報がほしいのです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

あとの20%は、
1.過去にできた親自身の心の傷を吐き出す場としないこと
(「こんなに辛い思いをしてきたんですよ!」という乗りではいい結果は出ないですよね)

2.「他の親御さんたちは悩みがなくて、みんな輝いている」ような思い込みを捨てる
親同士、必ず共通点があります。悩みもあります。子育ての喜びと苦しみはみんな持っているはずです。どこかでつながることができることを信じて、保護者の皆さんの心の扉をノックしてみることだと思います。

3.「自分の心の中の絵(イメージ)」を見つめてみる。心の中に「教室で明るく笑って過ごしている子どもたち」の明るいイメージを作ることができれば、現実はそういう方向へ向かってくると思います。心を積極的に明るくポジティブな方向へコントロールしていくことが大事ですね!

Akiko


<新番組>ETVワイド ともに生きる「できない子って言わないで」   -
発達障害の子どもたち -4月23日(土) 後8・00~11・00

皆さんご覧になりましたか?私は、KIKUちゃんさんや、cyuncyunさんのHpでこの情報を知り、(ありがとう!)見ることができました。
色々な魂が輝いているさまがうれしくて、なんともいえない涙が出ました。
みんながんばっていて、かわいかったですね。いとおしくて、かわいくて、笑いと涙が同時に出ました。

以前は、自閉症がTV番組で紹介される時、必ずといっていいほど「匿名」で「顔にはぼかし」が入って全体に「親は苦労している」という暗い印象がありました。
でも、ここ1~2年ほどでしょうか、みんな実名で顔を出して登場し、「障害」といいつつもその良さや個性や輝く姿が明るく紹介され、具体的な支援方法や学校での取り組み、請願書を出して通級を勝ち取った親の会の活動などが報じられるようになりました。
そして、本当に苦しんでいるのは本人自身なんだ、ということもきちんと伝えられていましたね。
社会が少しずつでも変わって行っているのを感じました。

涙が出たのには、もうひとつ訳があります。

番組の最中に、小3から同じクラスで、今年も同じクラスになったT君のお母さんから電話をもらったからです。

同じクラスの保護者の方からお電話をもらうと、実はいまだに条件反射的にドキリとしてしまう私です。(ごめんなさい)
でも、このT君のお母さんは、以前から理解と協力を示してくれている方で、日常的にもTAKUYAとまるで仲良しの友達のように付き合ってくださっているのです。TAKUYAもとてもなついています。

「TAKUYA君を通してお手紙を渡してもいいですか。今、TVを見ていて、とても感動しました。感動で胸が詰まって、じっとしていられなくなって、番組にもFAXを送ったの。こういった子供たちのことを知ることができたのもTAKUYAくんのおかげだと思うと、とても感謝しています。TAKUYAくんのお母さんも、何も言わないけどきっとこれまでもいろいろな苦労があったんだろうなと思うと、胸が詰まりました。同じクラスになったし、TAKUYAくんのことについての、お母さんの話を聞いた者としての責任もあると思うから、みんなに知ってもらい たいし、できることが何かないかと思っていたの」との内容でした。

私はうれしくて、言葉も出ませんでした。ただ「ありがとう、うれしいです。手紙を楽しみにしています」とだけ伝えました。もっといい言葉が出ないものかと、自分のことがもどかしくなりました・・・。

こんなふうに感じ取ってくださる保護者の方もいます。きっと、言葉には出さなくても、同じような方が他にもたくさんおられ、「自分に何ができるのか」と考えてくださっていると思います。
このページを読んでくださった方の勇気になればと思い、紹介させてもらいました。ありがとうございました。

Akiko


保護者にどう理解を得るか?
これは、みんな苦労なさっておられることではないでしょうか。

私自身もかつては本当に悩み、主治医のアドバイスをもらって1年以上前に保護者にカミングアウトしました。
学校の先生には、資料を見ていただきながら、特徴やかかわり方のコツなどについても詳しく話し合う必要があるので、診断名はもちろん、何でも伝えました。

でも、保護者の方々には、何を伝えることが必要なのでしょうか?

すべての保護者と本人とのかかわりが濃密なわけではありません。
でも、お子さんを通してTAKUYAのことは耳にして「?」と思っているかもしれません。トラブルがあったとき、事情を知っていれば善処してくれるかもしれません。

・・・ずっと前、TAKUYAが目の色を変えてA君を追い掛け回していた時、それを見たA君ママが「何なのあの子は!!」と怒り狂いそうになったところで担任が一言「特別な支援の必要な子なんです」と言ったとたんにエネルギーがふっと抜けて、その後じっくり事情を尋ねてくれたといいます。(ありがたい!)

医療的なことやかかわり方のコツについて、じっくり話すよりも、言葉少なく簡潔に、明るく伝えればいいと思います。「印象」が大きな仕事をする可能性大です。

それに、「言葉」だけが一人歩きしてしまう危険性も避けないといけません。「アスペ� �ガーって、あの少年犯罪を起こした子どもと同じですか?」とか、「衝動性が押さえらない・・・そんな子を放置していいの?」というような誰かの言葉が一人歩きしては困ります。
さらに、TAKUYA本人には、まだ障害告知をしていないのに、保護者→子ども を通して、TAKUYAの耳に入ってしまうことも避けなければいけません。

私は以下のことをいつも心がけています。


"デ·トップrijs学校"

1)言葉ではなく、具体的なエピソードから特徴をつかんでもらう。(できるだけ、笑えるような明るいエピソードをいくつか用意し、そこから「こだわり」や「言葉どおりに受け取って誤解を生む」「わがままに見えるけど、本人に悪気はまったくない」ことなどを理解してもらいます)

2)かかわり方のコツに関しては、成功例を挙げる。(どうしても学習に取り組めなかったのに、視覚に訴えるチェックリストを作成しただけで、こんなにできるようになった・・・たったこれだけの工夫で、他のお子さんと同じように学べるんです。こういう支援を「特別な支援」というんです・・・と、ついでに特別支援教育についても触れます)

3)発達障害児も十人 十色なので、親も先生にも「どんなかかわり方が有効なのか」試行錯誤していること、こうすれば完璧というものはない。だから一生懸命、専門家のアドバイスをもらいながら工夫しています(これは、親の独りよがりで「障害だ」と言っているのではなく、専門家の支援をもらいながらやっていると言うことを伝えることによって、周囲からの理解はかなり変わります)

4)トラブルがあっても、状況を丁寧に解説して本人に理解させないと、健常児のように失敗から教訓を得て次に生かすことができない。それどころか、「なぜ自分が叱られたのか、嫌がられたのか」を理解できずに混乱する。だから、トラブルがあったら状況を知らせてほしい。状況を親が知らないと、本人に解説できないから、ぜひとも連絡してほしい(と、 必ず頼みます。連絡先も伝えます。迷惑をかけてしまった方々が一人で抱え込まないように配慮することが大事だと思います)

5)本人なりのペースで、成長していることを必ず伝えます。「障害があっても、伸びていけるんだ」ということを伝えると、周囲の人も明るく期待を持って見守ってくれます。中には「障害があるなら成長しないだろう」と思い込んでいる人もいますから・・・。

6)調子が乗ってくると(受け入れがいいと)アインシュタインやノーベル賞をとった○中さんもモーッアルトも同じだということや、トム・クルーズもLDを持ち、特別な支援を受けていることなどを話します・・・個性豊かなアスペッ子の可能性・まっすぐ育てば十分社会貢献できる子であることも付け加えます。

笑いが取れたら、� ��成功。
発達障害児の親はみんな、悲しい思いもいっぱいしながらここまできていると思うけれども、明るい面に注目しつつ、話せるといいですよね。
障害のあるなしにかかわらず、みんな親同士。子育てて悩んでいるのは同じはずです。
信頼して、心を開いて、誠実に話せるといいですよね。

私がカミングアウトしたことがきっかけで、「どうしたら人の気持ちがわかる子に育てられるのか」「どうすればいじめられずに、いじめずに子どもを成長させることができるのか」・・・ということが話題になったことがあります。
障害のあるなしにかかわらず、みんな子育てでは試行錯誤しているんですよね。共感しあえることはたくさんあります。

心を合わせて一緒に成長していきたいですね。

Akiko


私はいつも、障害児を見、育てる中で、心の中では二束のわらじを履いています。
一つは、社会のシステムを変えていかなければいけないという視点
もう一つは、現状の中で、その中で自分の心をコントロールしながら最善を尽くしていこうという視点

このHPは、後者の視点で作成しています。これからもその路線で行くつもりですが、でも、今日は少し趣向を変えて、最近感じていることを書いてみようと思います。

日本では「器」を増やすこと、という視点で障害者福祉を考えますが、アメリカ等では「障害者の権利」という視点で論じられていると聞きます。

障害は一人一人違うのですから、ニーズも個別のものです。
アメリカでは「個人である障害児が必要としているものは何か?」という視点でまず考えます。
そして、そのニーズを満たすために必要なサービス(教育・訓練・療育等のプログラムを、主に一般社会(学校)の中で行う・・・ノーマライゼーションです)をIEPなどを保護者とともに立てた上で提供します。
障害者の権利が認められているので、要求が通らない時は、裁判に持ち込まれ、多くの場合障害者側の権利が認められ勝訴するといいます。

日本の現状の福祉は、「予算の範囲」を親に突きつけられ、「規定」の範囲内であれば決められた保障はするけれども、「限度」外はできません」と、なんとも白黒はっきりした返事しか来ません。
「できません」と断るのが、福祉行政に携わる人の仕事になっているかのようです。親は我慢するものだと思い込んでいます。

昨年、イギリスへ保健・医療・福祉の視察に10日間ほど行かせていただきました。
その際、障害を持つこんな人との出会いがありました。ロイさんです。

筋ジストロフィーで、指先をわずかに動かすことだけができるロイさん。でもやる気があってチャレンジャーで、すばらしいサポーターである家族もいる彼は、戦いの末教育を受ける権利を獲得し、放送大学で優秀な成績をとり、公費で住宅改造をしてもらうなど、彼の活動の可能性を広げるための莫大な支援を受けました。そこまでの道のりはもちろん大変な戦いでしたが、「求めれば得られる福祉」だったのです。
今では彼は病院のコンサルタントを勤め、コンピューターを使ってのビジネスで成功して社会貢献している人。・・・・・彼が日本に住んでいたら、「住宅改造は、一生に一度しかできません。そういう決まりですから」としか言えなかったのではないか?どこまでも可能性を探れるイギリスの福祉をみて、日本の「閉塞感のもと」が見えたような気がしました。

彼は、障害を持っているがゆえのニーズだけでなく、「もっと社会貢献したい、成功したい、そのために○○が必要なんだ!」という社会的ニーズも持っていました。
このニーズに応えることができることこそが、本当の支援だと思っています。

日本ではどうでしょうか?
「この子に合ったサービス、もしくは受けることが可能なサービスは、どれだろう?(どの「器」だろう?)」と、器探しをします。合う器がなければ、「我慢」を強いられます。
ノーマライゼーションやインクルージョンという言葉ばかりが先行していますが、発想の出発点が違う。同じところに置けばいいというものではない。
個別のニーズを満たしてこその、ノーマライゼーションであるはずです。

その日本の発想からは様々な悩みが生まれています。例えば、
特別支援教育の導入に当たって、自治体によっては人員が増やされないところが多いので、「今ある器」をどう使うかをめぐって、様々な不安が広がっています。・・・重度の障害児の行き場所がなくなるのではないか?返ってどの子にも適切な支援がされなくなるのではないか?

民間の療育ができたけれども、「満員」「費用が高額」等の理由で受けられない。
待てど暮らせど回ってこない我が子の療育の順番。

学校の理解を得るために、親が奔走し、毎年毎年4月を迎えるのに「学校側の受け入れ体制」がどうなったか、必要な支援が与えられるのか与えられないのかが、どんな先生に当たるのか、によって左右されるというくじ引きの結果を待つような気持ちで過ごしている。

自閉症がようやく法的にも支援を必要とする障害と認められたとはいえ、受け入れる「器」が足りない。療育の場も、就労の場も。「器」を増やしていこう。

仕方なく探し回って、障害児向きではない企画などに飛び込んで見ては、断られ、「社会の中に居場所がない」そんな気持ちになったこともありました。

または、「器」があっても、そこに入れない子どももたくさんいる。
例えば、通級・・・私の住む自治体では、親が同伴して通うことが原則ですが、仕事をしている親には同伴することができません。そうするとそのサービスは受けられないということになります。

今すぐどうなる問題ではなく、今後もやはり親の努力によって「開拓」していかなくてはならないのですが、それにしても、障害児の権利・・・という視点で、現状を見つめなおしてみる、ということも必要ではないでしょうか?
本来あるべき姿、というのを見つめられると思います。

「その障害児が必要としているものは何か?」

「そのニーズを満たすためには何が必要なのか?」

「器を作るべし」という発想から離れて、個別個別のニーズを満たす方法で考え、権利を要求することはできないでしょうか。

日本の福祉は「みんな平等・公平」という言葉に縛られています。

でも本来障害は個別のものです。置かれている状況も、個別のものです。
必要な個別のニーズを要求することが、子どもの権利であるはずです。
現状を、システムの面からも打開したい。そう願っています。



『我が子は自閉症 ~奇跡の子育て奮闘記~』

このTV番組を見て、考えることが多々あり、2月1日の日記を書きました。
そうしたら、もっと率直な感想も書いてみたくなり、一日さかのぼって、31日のページに書き込んでみますね。

中学生の自閉症児のご両親。がんばっておられましたね。
「親は本人よりも先に死ぬ、だからこそ地元の人と交流させておきたい、地元での理解を得ておきたい」という親御さんの気持ちが痛いほど伝わってきました。

現在の日本では、障害を持っているとどうしても限られた範囲の世界で生きることになってしまいます。でも、自閉症者が生きる世界に必要なのは、理解であり、それによって社会参加も可能になってくる場面も増えてきます。
だからこそ、あのご両親は一生懸命になって息子さんのことについて理解を求め、足を運び、語りかけられておられるんですね。
小学校時代のお友達が声をかけてくれたシーン、本当にうれしかったです。

私もあのご両親のような気持ちで、理解を得たい一心で、不安を抱えながら動いたことがあるので、思い出して涙が出ました。
あの息子さんのように、療育そのものは普通級でないほうが有効な場合でも、地元の理解があるということで、社会での本人の生きやすさというのは、段違いに変わりますものね。
でも、親は勇気が要ります。
あのご夫婦、本当にがんばっておられましたね。わが身に重ねつつ、エールを送りながら見ていました。

小4の自閉症児のご両親・・・自傷・他害を目の当たりにし、運動会で悲しむ場面で涙が止まりませんでした。
家庭での様子と外での様子が違うのは当然ですが、それを目の当たりにし、愛情を受け、一生懸命先生方が対応してくれているという感謝もさることながら、
・・・あの気持ちはよく分かりました。

そして、今日もまた、明るい気持ちを持とうと努力して、淡々と生きる。

決してあきらめない、失望しないで、明るく生きる。
そんなことを口癖のように言い続けて自分を励ました日々を、なつかしく思い出しました。
今では、あの頃の気持ちをなつかしい・・・と感じるほど余裕が生まれたということですね。

日本の制度については、考えることが多々あります。
親がここまで動かないとどうにもならない現状がある。
親が毎年毎年、子どもの療育がどうなるのか分からない状況で、右往左往せずにはいられない状況。
そして、障害児の親が感じざるをえない閉塞感。

福祉のお金の使い道を間違っていると、私は思っています。
それから発想の根本も見直さないといけない。

そんなことを考えて、2月1日の日記を書きました。


きよかママさんから、ここの掲示板にご相談をいただきました。4歳のお子さんがはっきりした診断を得られないということです。

就学前のお子さんの場合は、診断をと思って受診しても、なかなかはっきりしたことを言ってもらえないもどかしさを感じることがあると思います。
ひとつには、診断をしても療育の受け皿がない場合は、就学前のお子さんの場合、診断名をあまりはっきり伝えないこともあります。アメリカのように受け皿がたくさんあれば、「グレーゾーンのお子さんもできるだけたくさん拾い上げて、疑わしきはみんな療育をする、成長と共に発達が促されればそれでよし」ということもできるのです。
でも、日本の現状では、(特に軽度発達障害の場合)それができません。早期発見を促されながら、早期発見によって返って苦しむだけの親子を生み出すこともあるのです。(苦しいですね)
それが、はっきり診断されないもどかしさにもつながっているのだということを理解してください。そして親が療育をするつもりで、「現時点での診断」を求められたらいいと思います。

そんなことを考え、きよかママさんへの私なりのお返事を、掲示板ではなく、日記のページに書かせていただくことにしました。

きよかママさん
年少からだと、約1年半から2年ぐらい、もしかしたらもっと長い間、大変な中で試行錯誤してこられたんですね。おっしゃるとおり、「子供のためになにかしないといけないと思った事はいいこと」です。がんばってこられましたね。

まず1点目ですが、児童相談所の「先生」が医者でないとしたら、いくら検査をしても診断に関わるような断定的な事は言えないという事をまず知ってくださいね。だからこそ、小児科医を紹介したのだと思いますよ。
「言語の遅れ」と言われているそうですが、専門職として、「言語」以外の点、きよかママさんが心配しておられるようなADHDにみられる症状をチェックしているだろうと、予想されます。ただ、この点に関しては、母親にショックを与えてはいけないという配慮から、「言葉の遅れ」という一面だけについて知らせ、全体を見ていく・・・というのが一般的です。
専門職も母親がどのくらい受け止められるか、どのくらいの知識があるのかを探っているのだと思います。
これから発達して、診断名も変更になる可能性もあるし、必要な療育を与えられるのかという問題もあります。特にこの年齢のお子さんに対しては、親にどう伝えるかという事は慎重になっていると思います。
これがもどかしく感じられるかもしれませんね。

いつまでも腹の探りあいをしていてもしょうがないですから、率直にADHDを心配しているとか、どのような診断が付く可能性があるのか、家庭でのかかわりはどのようにする必要があるのかをたずねてみたほうがいいと思います。

2点目に、そこが発達障害を正しく診断し、必要な療育を提供できる医療機関なのかどうかを見極める必要は確かにありますが、そのあたりの情報は、やはり地元の保健師に問い合わせるのがいいと思います。
ただ、あまり遠方の医療機関にかかっても、受診を続けることが難しくなれば意味がありません。現実的に考える必要があります。今の小児科は、児童相談所に紹介されて、たしか年末に初めて受診したところですよね。まずは今の医療機関の先生と一生懸命向き合ってみることが必要ではないかと思いますが、いかがでしょうか?心を開いて何でも話してみてはいかがでしょうか。

「地元の医者では正しい発達障害の診断はつけてもらえない」というお友達の言葉に振り回されていいのかという問題もあります。
あまり色々な病院にかかると、子どもが疲れてそのこと自体がストレスとなってしまいますから注意してくださいね。

3点目は、診断にこだわるよりも現時点での問題行動に対する対処法を一緒に考えてくれるよう専門家に頼むことが大事だと思います。お母さんがお子さんの特徴をよく理解するのを助け、お子さんによりよくかかわれるようになって、ラクになれるようにです。
保育園とも上手に連携なさっていますから、園でのエピソードを材料に、先生の協力を得ながらかかわり方を工夫してみてください。

どちらにしてもね、どんな療育よりも、母親のかかわりをより良く工夫する以上の療育はないんです。日常的なかかわりの中でより有効なトレーニングを子どもは積むことができます。

だから、気持ちを楽に持って、どっちに転んでも大差なし・・・と開き直り、かかわり方を工夫してみてください。
いい意味でも、悪い意味でも、それが日本の現状です。

開き直って現状の中で努力しつつ、社会を変えていく努力もする・・・そんな二束のわらじを履きたいと思います。

お子さんのことで迷ったら、余分なものは考えからそぎ落とし、本当にお子さんのためになることだけを選び取れるように努力していると、本質的な課題が何なのかが、少しずつ見えてくると思います。これから生涯にわたってお子さんへの支援は続きます。本質を見通すことができるのは、やはり親だと思います。
一緒にがんばりましょうね。私も日々迷いつつ、本質を見極めるように努力しています。



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